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◇変見自在 帝京大教授 高山正之
▼怠慢
『台湾人と日本精神』の著者、蔡焜燦氏は陸軍特別志願兵として京都の山奥で敗戦を迎える。
その年の暮れに祖国台湾に帰還するまで、敗戦の混乱についても触れている。
一夜で「戦勝国民」になった氏らには有り余る食べ物が提供された。氏はそれで焼きお握りを作り「時には京都駅まで」行って飢えた子供達に配った。ふと見ると「子供たちに海軍の防寒用チョッキを分けている連中がいた。聞くと同じ台湾志願兵だった」
しかし同じ部隊にいた朝鮮人たちは「食糧倉庫や被服倉庫を襲って集団で強奪した」「意気消沈する日本人を殴って戦勝国民だと威張っていた」
戦勝国民のために日本は特別列車も仕立てた。たとえそれが数人でもまる一車両を用意する。
粗相があると彼ら戦勝国民は駅長だとか責任者を呼び出して殴る蹴るの暴行を働いた。当時、旅客局長だった下山定則も彼らに袋叩きにされ、睾丸破裂の重傷を負っている。
この戦勝国民の祖国帰還事業はGHQの命令で行われた。終戦四ヶ月前に死んだF・ルーズベルトが「日本人を四つの島に閉じこめて滅ぼせ」と遺言した。滅ぼすのは日本人だけだから余計な朝鮮人などは追い出せというわけだ。
いわゆる「徴用」で日本にきた者はこのときに帰っている。しかしみんな帰ったわけではなかった。
その辺を林浩奎が『第三国人の商法』の中でこう書いている。「三国人とは戦前戦後を通じて(日本で)生活している在日韓国人らを総称して言う言葉で、彼らの大多数は第二次大戦前後の混乱期に日本での成功を夢見て海を渡ってきた人たちだ」と。
彼らは「廃品回収やパチンコ、トルコ風呂など現金取引」を生業とした。
もう一つ重要な現金ビジネスが暴力団稼業だ。
戦後の闇世界を仕切ったN・ザペッティを描いた『東京アンダーワールド』に、彼がチューインガムを捌こうとして日本人に嗜好が合わないと拒絶される話がのっている。
彼は暴力団を雇って店主を脅して売らせる。それで日本にチューインガム文化が定着することになるが、その暴力団が戦後、急成長した東声会で、すべて在日朝鮮人だった。
今、いわゆる在日は50万人ほどだが、うち刑務所に収監中が1650人。中国人の25万人中2000人に次いで多い。
生活保護世帯は日本人の1000人中12人に対し、同48人と4倍に達する。
成功を夢見てきたが、今では日本にただ迷惑をかけているというわけだ。
法務省は増加する外国人犯罪に対処するため、外国人居留者の氏名、住所などをIC登録した「在留カード」を発行する。
ところがこの「外国人」に「在日は入らない」と朝日新聞は伝える。仏作って魂入れずみたいな印象だが、実をいうと在日には他の外国人にはない破天荒の優遇措置が講じられている。
例えばその他外国人は売春、麻薬、または懲役一年以上の刑を犯せば、ただちに国外退去になる。
しかし在日は麻薬も売春もお構いなし。懲役七年以上、つまり殺人を犯さないかぎり、国外退去処分にはならない。
理由は歴史的な、と説明される。 平たく言えば強制連行された者の子孫だから、日本に負い目がある。これくらいの優遇措置は当然ということらしい。
しかしその強制連行は朴慶植のでっち上げで、今の在日は林浩奎の記述にあるように戦前、戦後に日本にやってきて居着いた人とその子孫というのが正しい。
その他外国人と区別して特別優遇する必要はさらさらない。でもそこは大人の日本人だからせこいことは言わない。
国外追放は懲役七年以上でいいとして、では東声会の昔から、どれほどの朝鮮人が追放されたのか。新聞にもよく犯人は「何某こと」と朝鮮人名があった。さぞかし凄い数字だろうと思って法務省に聞くと「大臣が判子を捺さないので戦後この方、在日の国外追放はゼロ」だと。
杉浦正健が死刑執行のサインを拒否したことは知られるが、どの法相も在日の重罪犯を追放しなかったとは知らなかった。そっちの方が日本の治安上、問題ではないのか。
ソース:週刊新潮 3月8日版 144ページ (エマニエル坊やがテキスト化)
そろそろ強制連行説を唱えてきた朝鮮総連、民団及びマスコミの皆さんには責任を取ってもらいましょうかね。
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甘やかしすぎ
フランスでもさすがに手に負えない移民は例え未成年でも国外追放するようになりましたね。いい大人が、文句たらたら犯罪犯しても居座ってるなんて、法治国家とは思えない。死刑囚も在日もさっさと判子ついてイッテもらいましょう
おかずでROCK 「ビン入りえのきだけ」
そういや黒沢明監督の「天国と地獄」に、東京のスラム街(!!!)のシーンがありますが、店の看板や酒場のメニューがみんな「ハングル」だったんですよ。
高校生のときにビデオではじめて見て「何で韓国語が?」と思ったんですが、何の事はないこれ、黒沢監督流の「リアリティーの追求」そのものだったんですねえ。当時の大勢の日本人から見て不自然でないくらい スラム=朝鮮=893 だったってことでしょう。
高校生のときにビデオではじめて見て「何で韓国語が?」と思ったんですが、何の事はないこれ、黒沢監督流の「リアリティーの追求」そのものだったんですねえ。当時の大勢の日本人から見て不自然でないくらい スラム=朝鮮=893 だったってことでしょう。