毎日新聞の新年企画「ネット君臨」が話題を呼んでいる。特に元日朝刊の連載第1回では、匿名掲示板「2ちゃんねる」で起きた「祭り」と呼ばれる現象を紹介。「匿名 群がる悪意」という見出しのもと、1~3面を費やして批判している。この記事をめぐり、当然ながら同掲示板では大量の反論が書き込まれるなど大反発。記事の中で批判的に描かれた男性は、取材時のやりとりや記者の実名を公開して応戦する騒ぎになっている。
掲示板での反論は、当事者の対応の拙さについては触れない一方的な書き方だという不満が大勢のようだ。「祭り」の一例として示された難病児募金の件は、自分も観察していたが、たしかに情報公開という点で不信感を抱かせる対応だったのは否めない。ブログを「炎上」させられた主婦の件も、そこに至った経緯は検討されてしかるべきだろう。「炎上」が生じるメカニズムを、ただ「悪意」に帰してしまうのだとすれば、それはかなり一面的な分析といえる。
記事では「ネットでは住人たちが一つの話題に群がり、ときに『悪意』が燃えさかる。彼らはそれを『祭り』と呼ぶ」としているが、「祭り」とされる現象にあるのは「悪意」だけではない。古くは湘南海岸のゴミ拾いオフや、放火で焼けた折り鶴を広島平和記念公園に届けた「折り鶴オフ」、近くは経営難に陥った銚子電鉄を支援する「ぬれ煎餅祭り」など、「善意」と呼んで差し支えない祭りも、いくつも存在している。ネットでしばしば起きる「祭り」を、善意や悪意といったレベルで都合よく別の現象として解釈してしまうのは、的を外した理解だろう。
この連載は今後も続くとのことで、まだ評価を下すのははばかられるが、書きようによってはもう少し長い射程も持ち得た話だろうに、という思いはある。今後、より多角的な議論が展開されることを期待したい。(磨)
「ゴミ拾いオフ」は善行で嫌がらせをする、というかなり高度な内容だったけどね。
※ゴミ拾いオフ:WCにおいてあまりにも韓国びいきの報道に怒った2ちゃんねらーが、早朝の生放送番組で放映予定だった「ゴミ拾い活動ボランティア」よりも先にゴミを全部拾い尽くして生放送を困らせてやろうと実施した企画。