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マガジン9条

この人に聞きたい
林博史さんに聞いた その1沖縄戦の集団自決問題の真相

+ + + + + + + + + +
今年の夏、沖縄戦での集団自決に関する記述をめぐる教科書検定の問題が、大きな議論を呼び起こしました。
このとき、文科省が「軍の強制」の記述を削除する根拠として挙げたのが、『沖縄戦と民衆』という1冊の本。
その著者である林博史さんにお話を伺いました。


教科書検定制度の「詐欺」

編集部  今年3月、文部科学省による教科書検定において、来年度から使用される高校日本史教科書の中の「沖縄戦での“集団自決”には日本軍の強制があった」という記述に、「実態を誤解させる恐れがある」として修正を求める検定意見が付されたことが明らかになりました。しかし、沖縄での「9・29県民集会」をはじめ、各地で批判の声が高まったことから、文科省は「(批判の声に)真摯に対応したい」と方針を転換。これを受けて、教科書会社からの訂正申請が相次いでいます。

 この検定において、文科省が訂正の「根拠」として持ち出したのが、林さんの著書『沖縄戦と民衆』でした。しかし、通読すればすぐわかるように、林さんはこの中で、「日本軍による強制」を否定しているのではなく、むしろ多数の証言からその強制性を明らかにしようとされているんですね。

林  そのとおりです。たしかにその本の中には、集団自決のその場において、「今自決せよ」といった直接的な命令はしていないだろう、という表現はあります。文科省は、そこだけを取り上げて「この本の中でも強制は否定されている、だから記述を変えろ」と言ったわけですね。本の結論では、集団自決は日本軍の強制と誘導によっておこったんだと何度も強調しているのに、それを無視してある一文だけを取り上げるのは、まさに詐欺としか言いようがない。

編集部  しかし、それが「おかしい」ということは、一度でも『沖縄戦と民衆』を読めばわかるのに、なぜ教科書の執筆者たちは反論せずに訂正に応じたのか? というのが、最初にこの問題をめぐる報道に接したときの疑問だったのですが、実は文科省からの検定意見が出される際には、検討する時間もほとんど与えられず、その場で訂正内容を決めなくてはならないことになっているそうですね。

林  私も現場にいたわけではないので、執筆者から聞いた話ですが。昨年12月に文科省に呼ばれて、検定意見を見せられ説明をうけた。そして、それに対してどう書き換えるのかを、文科省の会議室にいる間、2時間以内に決めないといけなかったのだそうです。

 実は、1989年以前は検定意見を持ち帰って、調べた上で資料を持ち出したりしてやりとりをすることができたんです。それがこの年に制度が改悪された。文科省が持ち出した「根拠」が本当かどうかを確認することもできないまま、会議室の中で判断しないといけないというんだから、本当にめちゃくちゃですよね(笑)。

 それで今回、執筆者のひとりが帰ってから私の本を取り出して読んでみたら、「そんなことない、ちゃんと強制って書いてあるじゃないか」ということになったわけです。


問題は「命令があったかどうか」ではない

編集部  その「詐欺」的なやり方だけではなく、文科省が出してきた検定意見そのものが論理的に破綻している、とも指摘されていますね。

林  検定意見では、「集団自決しろという命令は出されていない」から書き換えろ、ということになっていますね。でも、教科書の記述は、日本軍によって「集団自決を強いられた」とか、「集団自決に追いやられた」というものであって、「軍命令に従って」なんていうことは、最初からどこにもないんです。
 たとえば、座間味島での集団自決において、部隊長が「自決しろ」という命令を出していないと自ら主張しているようなことは、少なくとも20年以上前にはもうわかっていた。沖縄戦の研究者は、その上で研究を続けているんですね。「自決しろ」という命令がなかったからといって、強制があったということを否定する理由にはならないからです。

編集部  命令そのものではないところに「強制」があったと? 

林  だって、何も下地がないところにいきなり軍人が「おまえたち、自決しろ」と言ったって、みんな聞くわけがない。つまり、「いざという場合には自決するんだ」と人々に思い込ませるようなことが、日本軍が来てから何ヶ月もかけて準備されていたんだということです。客観的に見れば、米軍が上陸してきたからといって、住民が死ぬ必要なんてまったくない。米軍は保護するつもりで来ているわけだから、生きることはできるんだけれど、その選択肢があることを認識できないようにするわけです。中には、渡嘉敷島や座間味島のように、軍から「手榴弾を渡された」というケースもありますが、そこで「自決しなさい」と言われなかったとしても、黙って手榴弾を渡すということが何を意味するのかは明らかですよね。

編集部  まさに、無言の強制ですね。

林  行政だとか教育、個々の日本軍将兵による言動も含めて、当時の戦時体制の中で、人々は(米軍がやってきたら)「死ぬしかない」と思い込まされた。そうして自決に追いやられた。これまでの沖縄戦についての研究が明らかにしてきたのは、そういうことなんです。
 だから、「今自決しなさい」という軍命があったかどうかというのは、実はそれほど大きな問題ではない。しかし、今回の検定意見は部隊長の命令が「なかった」ということだけを問題にして、それで日本軍の強制を全部否定している。ある部分だけの間違いを取り出して、全部が嘘だというこのやり方は、「新しい歴史教科書をつくる会」の論理そのものです。それをそのまま文科省が検定意見に採用しているんですね。

恐怖が住民を集団自決へ追い込んだ

編集部  作家の曽野綾子さんなどは、そうした「部隊長による命令」を否定するとともに、集団自決に強制があったとすることは、「崇高な犠牲精神によって死を選んだ人々への冒涜」だといった主張をされています。

林  靖国神社をめぐる議論と同じなんですよね。普通であれば生きられたはずの人々が、国家の行為によって死に追いやられた。その場合、国家、あるいは軍の責任が当然問われるべきなのに、「崇高な死だ」ということによって国家や軍が免罪されてしまうという構図です。

 集団自決というのは、米軍が上陸してきてすぐに起こったもので、その後には起こっていません。なぜかというと、証言の中で出てくるのは「米軍が非常に親切にしてくれた」ということ。つまり、それまで「米軍は捕まえた住民にひどい扱いをして皆殺しにするんだ」という恐怖心を叩き込まれていたから、投降できなかった。でも、「ちゃんと助けてくれるんだ」とわかると、もう自決する必要はない、山から下りていこうということになったわけです。

 そして、もう一つ大きかったのは、「日本軍が玉砕するときには自分たちも一緒に玉砕する」という意識です。軍官民共生共死——もう「共に生きる」というのはこのころには意味がないですから、「共に死ぬ」方ですが——というのを信じ込まされていたんですね。それで、日本軍はもう玉砕するはずだと思っていたから、自決が起こったわけです。

編集部  でも、実際には日本軍は「玉砕」しなかった…

林  そう。全然玉砕する気がなくて山の中なんかに隠れていた。それで、生き残った住民たちが少し逃げているうちに日本軍が玉砕していないことがわかってくると、日本軍が生きているのに自分たちだけで玉砕するなんてばからしいということになるんです。

 だから、防衛庁の戦史などに書かれているような、「軍に迷惑をかけないように自ら進んで」なんていう意識はほとんどなかったはずです。あったのは、米軍への恐怖と「軍が玉砕するときは自分たちも」という意識。だから、そこの嘘が崩れてしまうと、もうそれ以上自決は起こらなかったんです。

編集部  集団自決が起こった原因が、「お国のために」という皇民化教育にあるという意見もあります。ひめゆり学徒隊の生存者の方などは、そういった証言をされていますね。

林  ひめゆり学徒隊の方たちの証言は、彼女たちにとってはまったくそのとおりだと思うんです。しかしその理由で全体を説明するのは違うんじゃないか、というのが私の主張です。たとえば、ひめゆりの人たちは当時16、17歳で、まさに軍国主義にどっぷりと浸かって育った世代ですから、たしかに「お国のために命を捧げるのは立派なことだ」と本気で信じ込んでいたと思う。

 でも、もっと上の世代、あるいはひめゆりの人たちのような中等教育をうけていなくて、小学校しか出ていないような大多数の人々はどうか。もちろん、建て前は建て前としてあるけれど、プライベートなところ、軍のいないところではけっこう本音を言っている——ときには天皇の悪口を言ったり——という部分があったようです。本を書いたり、語り部になるのはやはりある程度教育を受けた人が多いのであまり注目されないけれど、「軍に招集されたけれど、郷里の母親が心配で途中で逃げ出した」なんて証言もありますから。

 集団自決とは反対に、地域の人たちが集団で米軍に投降したケースはたくさんありますが、それらはもっと上の世代が地域のリーダーである場合です。たとえば40歳代くらいであれば、大正デモクラシーの時代に教育を受けていて、その影響が残っている人たちも少なくないですから、ひめゆりの世代とは全然違います。

 もちろんその世代のなかにも皇民化教育を推進した教育者や、戦時体制に積極的に協力した人たちもいますから、同じ世代でも一色ではありませんが。

 では、そういう人々を集団自決に追いやったのは何かというと、やっぱり先ほども言ったアメリカ軍や日本軍への恐怖心だと思うんです。皇民化教育だけでは「死ぬしかないんだ」という意識をたたき込めないからこそ、恐怖心を煽ったのではないでしょうか。

 そして、さらに決定的だったのは、日本軍がそこにいたということです。日本軍がいなければ、生きたい、米軍も民間人までは殺さないだろうからみんなで投降しようということができますが、日本軍がいれば非国民、スパイとして殺されてしまいます。集団で米軍に保護されるというのは、日本軍がいなかったからできたのです。


現代社会は、もはや戦争を「できない」社会になっている

編集部  さて、最近の改憲論議においては、「国を守るためには軍隊が必要だ」との主張がしばしばなされますが、こうして沖縄戦での集団自決の原因などについて見てくると、「果たして、軍隊を持っているほうが、持っていないよりも本当に“安全”なのか?」という疑問も浮かんできます。林さんは、憲法9条をめぐるこれまでの議論については、どう考えられていますか?

林  これまでの与党による改憲論議は、まさにアメリカと一緒になって世界中で戦争をできる国にしようというものですから、とても認めることはできません。

 ただ、9条の問題を考えるときに非常に重要なのは、実は日本やヨーロッパ、アメリカなどの先進国は、第二次世界大戦後、自分の国土で戦争をしたことがないという事実だと思います。

編集部  それはどういうことですか?

林  たとえばライフラインです。第二次世界大戦のときまでは、日本もヨーロッパも、飲み水は井戸や川からとっていたし、食事は竈(かまど)でつくるし、というような生活スタイルです。電気冷蔵庫など電化製品などまったくありません。ですから、そこが戦場になって電気や水道、ガスといったライフラインがストップしても―というよりもともとないのですが―、それなりに生きていけるような生活をしていた。現在戦争が起こっている途上国もそうですね。

 ところが、経済成長で生活スタイルが一変し、さらにIT化も進んで、電気が止まるとすべてがストップしてしまい、生きていけなくなるような社会になってしまった。人類の経験の中で、そういう社会の中で戦争が起こったことは一度もない。逆に言うと、こんな社会が戦場になるという想定そのものが、およそあり得ない、ナンセンスな話だと思うんですね。

 つまり、日本だけではなく先進国はみんな、人の生活自体がもう、戦争には耐えられない状態になっているということです。戦争でライフラインが破壊されたら、水がないからトイレも困る、電気が止まり冷蔵庫も使えない。昔なら裏山から薪を採ってこられたけれど、都市ではそれもできないし、井戸もない。マンションなんてもう、どうしようもないですよ。実際の砲弾で死ぬ人よりも病気で死ぬ人のほうがはるかに多くなるだろうし、とんでもないことになるでしょうね。

編集部  戦争をするべきじゃない、というよりも、もはや「できない」社会になっているということですか。

林  そう。安全保障の問題も、社会のあり方がまったく以前とは変わってしまってるんだということを前提にして考えないといけない。そうすると、理念として軍事力を放棄すべきかどうかということは別にしても、戦争は「できない」んだからしない、戦争をしてしまうとそれだけで人々に想像を絶する被害がでてしまう、そうするとそこで武力を持っていることに何の意味があるのかということになります。

 日本の場合でいえば、完全非武装までは行かないにしても、今の自衛隊のような強力な軍事力はいらない。せいぜい国境警備隊程度で、日本列島の外側で守るという選択肢はあり得るけど、そこを破られたらもう、手を挙げるほうがいい。そこで戦争を始めてしまったら、とんでもない犠牲が出るんですから。

編集部  それが、犠牲を最小限に抑える現実的な手段じゃないかということですね。

林  そうです。「軍隊を持たない」「非武装を貫くべきだ」などというと、なんだか非常に立派な人格者みたいだけど(笑)、そうじゃなくて、もっと自分のエゴで考えても、軍隊を持たないほうがかえっていい。自分の身が一番大事だからこそ、軍事力はないほうがいいんだということ。それが自分にとってもいいだけでなく、ほかの人々、ほかの国の人々にとってもいい。

 理念や理想で考えるのも大事ですが、それよりは、そういう現実的な議論をもっとしたほうがいい。改憲論議の中では、軍隊を持つことのほうが「現実的」だと言われることが多いけれど、軍隊で守ることこそが「空想的」「観念的」であって、持たない方がずっと「現実的」だ、というふうに、それをひっくり返さないといけないと思うんです。


戦争は「するべきではない」のではなくて、「できない」もの。
「軍隊を持たない」=理想主義、との図式こそが、
もはや時代遅れだというべきなのかもしれません。
次回は、沖縄戦や従軍慰安婦問題など、林さんが
現在の研究テーマに取り組まれるようになったきっかけについてお聞きします。






沖縄集団自決における日本軍関与肯定派って、こういう主張で「うんうん」とか言ってるのかね。これじゃあ「11万の沖縄の声を聞け!」とか「私たちのお爺さんお婆さんが嘘つきだとでもいうのでしょうか」とか、内容以外の部分で勝負するしかないよなと納得した。


「米軍は保護するつもりで来てるのに日本軍が嘘を教えてたから自決するしかなかった」と言うけど、それは林博史が今現在後出しジャンケン的に言ってることに過ぎず、当時の異常な状況の中で誰がそれを保証できたのか。仮に日本軍が「米軍が攻めてきても彼らは人権的に扱ってくれるから、素直に投降するように」と教育していたとして、それは信じられるのか?おかしいだろ。

しかも、その後で「日本はアメリカと一体になって戦争をできる国にしようとしている」と平然と言ってのけているが、お前バカか?日本とアメリカが他国に攻め入ったとしても「保護する」と名目的に言っておけば、全部免責されるじゃないか。「保護する」と言ってるのに、勝手に自決したり抵抗したりする奴が悪いんだろ?

さらに、「戦争できない社会になっている」というが、それは「先進国が攻撃されたら困る社会」であって戦争できない社会とは違うわな。中国や北朝鮮が、東京にミサイルをぶち込んでも彼らは何にも困らないよ。


・・・頭痛くなってきた。

ついでだから、過去にボツにしたエントリーを公開しておく。




毎日新聞
発信箱:心の獄=磯崎由美
 福岡県水巻町の小高い丘に、白い十字架の塔が建つ。戦時中、異国の地で最期を迎えたオランダ人捕虜たちの魂を鎮めている。

 その前でオランダ人女性、アニー・ハウトバールトさんに会ったのは04年夏だった。墓碑に刻まれた父の名を指でなぞっていた。

 1942年、オランダ領東インド(現インドネシア)。侵攻した日本軍に家を追われ、彼女は抑留所へ収容された。父は長崎に連行され、強制労働の末に監視兵に暴行を受け、亡くなった。

 父を奪われた憎しみ。抑留所で日本兵に刀を振り回された恐怖。悪夢にうなされカウンセリングを受ける戦後を送ったが、75歳になって日本を訪ねることができた。帰国後、周囲に「日本人は温かく迎えてくれた。獄につながれていた心が解放された」と語っていた。

 そのアニーさんの悲報に触れた。今月、自宅で静かに息を引き取ったという。オランダにはまだ日本への憎悪がある。晩年の彼女はそうした人たちに日本でのことを語り続けていたと聞いた。

 今思えば、彼女は父の慰霊に来ただけではなく、自分に時間が残されていないと悟り、日本という国を許しに来たのではないだろうか。

 戦後62年が過ぎてなお、心の獄につながれた人たちがいる。東京大空襲の追悼式典でも、最近まで参列できなかったという戦災孤児を見る。

 人生を翻弄(ほんろう)されて晩年を迎えた時、「自分の生涯は一体何だったのか」という問いに背を押され、突き当たるもの。それが戦争だという人々の思いは、私がいくら想像しても計り知れない。(生活報道センター)






「どちらが悪でどちらが善」というような観点ではなく、「戦争は両当事者にとって悲惨なものである」という観点から見た場合、このオランダ人女性の境遇には同情もするし、日本人として申し訳なくも思うが、読後感が悪いのは事実である。

それは、「そもそもオランダがインドネシアを植民地支配しており現地人を搾取していたのだから、そういう悪の存在を倒すべく日本軍が登場したのであり、彼女やオランダ軍人が酷い目にあったのは仕方のないことじゃないか!」というような相対化したお話ではなく、マスコミやサヨク文化人にありがちな「何でもかんでも日本を悪くしておけば安全牌」という安易で旧態依然とした心理が見えるからであろう。

こうした考え方は、従来は「自虐史観」と呼ばれていたが、実は私はこの言葉にも違和感があった。

何故ならば、彼らは自分を除外して考えているからである。

「自虐」というのは文字通り自分や自分を含めた集団を指す概念であるが、このような考え方を行う人たちは形式的には「日本人」という集団の一構成員として「反省」したり「謝罪」したりするものの、本心では自分はその構成員ではないと考えている。

仮に、本当に自虐的で何にも心を痛める人なのであれば、日本軍の「悪事」についてのみならず、自分や自分が属する会社及び集団などの「悪事」についても言い訳をせず、反省・謝罪をするはずである。しかしながら、現実はそうではない。

例えば、朝日新聞販売店の従業員が犯罪を犯した場合は、「弊社と取引関係のある販売店の従業員がこのような犯罪を犯したことは真に遺憾であり云々」と、自社とは関係がないことを強調する。社民党も又市幹事長の女性スキャンダルに関して、「全くの事実無根でわが党に対する誹謗中傷するための云々」と防衛体制に入る。ここには、自虐的な傾向は全く見られない。彼らが本当に自虐的ならば、いかなる言いがかりであろうと「全部自分が悪いんです。申し訳ございません。生まれてすみません」的な対応が見られるはずである。しかしそのような対応は全く見られない。

ところが、日本の「悪事」となると、捏造・隠蔽・拡大解釈・誇張などあらゆる手法を駆使して日本を責め立てる。しかも、「日本人として」反省したりお詫びしたりする。

ここが非常に厄介な部分である。

何せ、「お前いい加減なことを言うな。証拠を出せ」という主張が効かない。「日本人として」勝手に相手側の立証責任を免除しちゃうからである。また、「名誉毀損だ」という主張も無効である。「日本人として」日本を悪く言ってるだけなのだから、「自らの名誉を放棄して何が悪い」となるのである。

しかし、何となくモヤモヤする。
腑に落ちない部分がある。

これは、形式と実質を分離して考えることでスッキリする。

通常は形式と実質は一致しているので、何ら問題にならない。

例えば、又市幹事長は社民党の党員・幹部という肩書きを持っており(形式の問題)、自らも組織の一員として行動している(実質の問題)。このように形式と実質が一致している場合には、又市幹事長及び社民党に対して何らかの不利益が生じる可能性が出ると防衛体制に入る。

ところが、又市幹事長は日本の国籍を持っているし「日本人として」と発言する(形式の問題)が、本音では「日本人」とは思っていない(実質の問題)。じゃあ彼は自分を何だと考えているかと言うと、「正義の日本人」というカテゴリーに属する人間だと考えているのである。日本人を悪と正義に分けた上で、自分は正義の側に立つと考えている。正義と言うカテゴリーに属する人間が悪と言うカテゴリーに属するを非難しているのだから、自分は痛くも痒くもない。痛くも痒くもないので「関与」という抽象的な言葉で責任を追及するし、「犯罪をしていない証拠を出せ」という無茶な注文も付ける。しかし、「自分は正義のカテゴリーに属する人間だ」とは明言しない(たまに良識派という言葉にこれが現れるときがあるが)。「同じ日本人として反省します」とは言うものの、実態は「他人」を批判しているだけ。しかも、「他人」を批判すればするほど自分の相対的な正義度がアップするので、これはとてつもない快感を生み出す。

これはいわゆる差別と構造的に全く同じことが分かる。

「あいつは被差別部落の者で卑しい身分だ」と言い立てることで、自分の相対的な優位性を確認し安心する。「あいつは戦争を反省しない悪い日本人だ」と言い立てることで、自分の相対的な正義度を高める。本質は何にも変わらない。

しかし、ただ一つ違うことがある。

被差別部落の者は形式的にも実質的にも被差別部落の人間であり、また同じように被差別部落以外の者は形式的にも実質的にも被差別部落に属さない人間である。つまり、部落以外の人間が部落の人間を悪く言っていると言う構造が、誰の目にもに明らかなのである。従って、被差別部落の立場からは「俺たちを差別するな」という声が有効となる。

一方で「自虐史観」の場合は、外形的にはあたかも日本人が反省しているというように見える。しかし、実質的には「全部あいつが悪いんです。私は悪くありません。『関与』したので責任があるのは間違いありません。言い訳はさせません。私が封じ込めます。だから、私は悪くありません」という類の話であり、自虐でもなんでもない。こういうのは、単に「なすりつけ」という。

これは、構造的には部落差別と全く同じ話なのであるが、形式的には「日本人が日本人として反省している」だけなのだから、差別として捉えられないところにタチの悪さがある。「てめえ証拠も無いのにふざけたことを言ってるんじゃねえ!」と言おうものなら、「日本人が一人の日本人として反省することの何がいけないのでしょうか」とのたまう。しかし、これが本心でないことは既に述べた通り。

こういった問題を「自虐史観」と表現することは形式に着目したモノであって、本質を表現しているとは言いがたい。実は、そこに日本人の陰湿な差別意識が隠れているわけであり、「差別反対!!」とうるさい奴ほど実は一番差別的な人間なのである。そこで、これを彼らに自覚させるために、今後は「歴史問題における差別的なすりつけ解釈」と呼ぶことにしたい。少々長ったらしいのでもう少し短い言葉があればいいのだけど、代わりの言葉が見つかるまでは、「歴史問題における差別的なすりつけ解釈」もしくは「差別的なすりつけ解釈」という用語を使用したい。

差別問題に取り組んでいる人間がよく言うセリフに、「差別問題は、差別される側がどう感じるかの問題だ」というものがある。従って、彼らに「我々は差別などしていない」などという言い訳は通用しない。彼らこそが一番の差別主義者であることを自覚させなければならない。


以上のエントリーは何週間か前に書いたものなんですが、「自虐史観が実は自虐でもなんでもないって発見したのはこれが初めてじゃないか?凄くないか?」と舞い上がっていたところ、以下のエントリーを発見して、他にも似たような事を言ってる人がいるのを発見して一気に萎えてしまったのでボツにしたものです。しかし、林博史のインタビューを読んで感じた嫌悪感が、「差別的なすりつけ解釈」によるものであると考えられることから掲載することにしました。もしかしたら下記ブログ以外にも同様の考え方をしてる人がいるかもしれませんが、いずれにせよ「自虐史観は実は自虐ではない」という考え方を広めて行きたいと思います。



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無題
>「自虐史観は実は自虐ではない」
実にその通りですな。この手の奴らは、実は尊大な奴らが多い。しかも好戦的。私は、子お手の奴らがいるからこそ、憲法9条の改正には慎重になるほうがいいと思っている。この手の奴らが間違って政権をとった日には、他国に戦争は仕掛けないかもしれないが、軍隊を使って一般国民を弾圧すると思われるので(w
名無し 2007/11/22(Thu) 編集
無題
自分を”一般的な”日本国民より”上”におき、
”日本はダメだ、日本人はダメだ”というのが
あの人たちのやり方ですね。

”差別するな”と言っておきながら、結局
自分たちを上において、一番差別している人たち。

だから、”自虐せよ”といっときながら、
自分たちは”自虐”しないんですよね。
自分たちだけは別、と。。。
13th 2007/11/22(Thu) 編集
無題
かつて司馬遼太郎の本にあったのだけど、日本人の一典型的気質に「自分の属する組織の人間の悪口を部外者に言うことによって、他者に対して阿る」というものがあり、私はこの「自虐史観」的な連中はこれかと思ってたんだけど、何のことはない、ただの「なすりつけ」のほうが実情に即してるな。この手の卑劣な人間を糾弾する方法はないのか。
ヤマダ 2007/11/22(Thu) 編集
無題
その林博史ですが、無防備地域宣言運動のある地方組織が行う講演会に出るようです
タイトルは林の主張そのもの
「軍隊は住民を守らない」

川崎無防備講演会
http://odawaramuboubi.seesaa.net/article/66470747.html

吐き気がしますな
生存権を敵軍に委ねるなどという考え方は
涼月 URL 2007/11/22(Thu) 編集
無題
オレの同胞が悪い事しました
オレが代表してそれを暴き謝ります
でも俺だけは悪くないです、偉いんです

こうですか、わかりません
      2007/11/22(Thu) 編集
無題
>差別的なすりつけ解釈
それまで散々日本に頼っておいて、敗戦の瞬間から「ウリたちは戦勝国民ニダ! 被害者ニダ! 悪いのは日本人ニダ!」っとかおっぱじめた、どこかの半島出身者にそっくりな件。
Ido 2007/11/22(Thu) 編集
無題
>「自虐史観は実は自虐ではない」
なるほど。
すごくすっきりいたしました。
2007/11/22(Thu) 編集
無題
小林よしのりも同趣旨のこと言ってた気がする。
誰かソースつけてチョ。
ぴろり 2007/11/22(Thu) 編集
無題
同じ小林でも小林信彦氏のほうは、数週前の文春のコラムで林博史氏とほぼ同趣旨のことを書いてましたね。
自決の命令文書があったかどうかなんて問題じゃない、自決にまで追い込んだ日本軍が悪い、玉砕戦法を教育してたくせに今さら何言ってやがる、とかなり憤ってましたが……。この手の人たちの論法ってみんなおんなじなんでしょうか。
LIFE 2007/11/22(Thu) 編集
無題
林のホームページを見ると,「旧日本軍は悪者」という色に染まっていて,酷いですね.こんな人物が教鞭を執れるのも問題だと思います.
NGT 2007/11/22(Thu) 編集
確かに
「自虐」じゃなく「差別」ですね。
加えていうなら、「投降の自由」は、「国民の権利」ですが、「国民を守る」のは、「国家の義務」である筈です。
義務の放棄は、頂けないと思います。
2007/11/22(Thu) 編集
無題
>米軍は保護するつもりで来ているわけだから

>まさにアメリカと一緒になって世界中で戦争をできる国にしようというものですから


この二つから導き出される結論は、アメリカと一緒に人道支援のために軍隊を出動できるようにしようとしてるということか?
未だに戦争が、正義と悪の二つがあって始まると思ってるアホがいるんだねェ・・・
しかも最初は、アメリカの戦争=正義なのに、次はアメリカの戦争=悪になってるんだよね。
どっちやねん。
通りすがり 2007/11/22(Thu) 編集
無題
この手の意見の主張者と、
日本は南京大虐殺をしたとか従軍慰安婦があったとかというやつらと同じだったりすることが多いんですが、
彼らは矛盾に気づいてるですかね?
日本が占領されたときに、彼らが言う南京大虐殺とかがされないとどうしていえるんでしょうね
呆れ 2007/11/22(Thu) 編集
大江氏のような精神的幼児
いい大人って言うか、もう老人なのにこういう人が大勢いますね 前半の引用部分は読むだけでかなり苦痛。
ころ 2007/11/22(Thu) 編集
似たような関係
戦後ドイツとナチスの関係が似たような部分があると思う。戦後のドイツはナチスを突然襲来した宇宙人の団体か何かのように扱って「ユダヤ人も被害者ならドイツも被害者」といわんばかりの対応をしている。だから、ナチスの蛮行とされるものについては他人事のようにバンバン糾弾が出来るし、その一方で失った財産権の回収も平気で言い出せる。
逆にいえば、保守系の日本人は戦時中のことを自分達の祖先が行ったこと、と考えているからこそ絶望的な現状の中でも何とか汚名は雪ぎたいという考えが出てくるのだと思う(それが行き過ぎても問題はあるが)。
のぶを 2007/11/22(Thu) 編集
無題
まぁ「日本人を代表して」というのは村山さんの時に最も顕著に現れた流行ですよね。
利害関係を精査する立場にある政治家がこれやっちゃう時点で噴飯ものなんですけどね。
2007/11/22(Thu) 編集
無題
他国に攻められたら=中国に攻められたら

つまり中国になりなさい
ichi 2007/11/22(Thu) 編集
無題
戦前差別者か
「自分達はニュータイプだからお前等オールドは
シネよww」
という厨臭もしなくもない
dd 2007/11/22(Thu) 編集
無題
防衛線を破られたら手を挙げて奴隷になれと?
千年属国の始まりですかな。
パンダのかぶりもの 2007/11/22(Thu) 編集
無題
この林某は粗末な夕食時に中国兵が「おーし、今日はここにすっか!」と押し入ってきて、妻や娘にえいえいやってもウスラ笑いしたまま芋粥すすってるということですね?
ウー 2007/11/22(Thu) 編集
無題
戦前の日本の 孤立→暴走→悲惨な結末、の一番の原因は軍部を野放し状態にしたこと、これは明白。
だからと言って軍を持たなければ安全なんて結論にはナラン。
アル 2007/11/22(Thu) 編集
無題
(ネット普及以前は)情報ピラミッドの上部に居た売国的ジャーナリストや政治家連中は、
「歴史問題における差別的なすりつけ」をしていると言うべきでしょうね。自覚が無い奴ほど厄介ですね。

但し、戦後から今日まで、多くの日本人が「自虐的な気分」に支配されているという面も看過出来ない。
「歴史問題における差別的なすりつけ」が正しいと、一貫して報道、教育されて来た結果だと思います。
(恥ずかしながらかく言う私も日本軍は悪い、日本人は格好悪い、アメリカは格好良い、と、教わったままの事を信じる素直な少年でした)
特に教育の現場においては、正しい意味での「自虐史観」が未だにまかり通っているように感じています。

ネットの普及により、徐々にその「自虐的な気分」から脱却しつつある傾向を見て、
戦後体制から脱却出来ない人達は「右傾化」だ何だと騒ぐ。
そういう連中は、他人の意見を聞いたり自省したり出来ないのが多い。困ったものです。
誠犬 URL 2007/11/22(Thu) 編集
無題
つーか、この人は9.11テロやサリン事件やらの事はどう説明するんだろう・・・
こっちから戦争仕掛けなくても、列車爆破とか、都市部が標的になった事件は幾らでもあるだろう。
東京にミサイルぶち込まれても、戦争はできないといいながら死んでいったら、こいつを尊敬しても良い。
通りすがり 2007/11/22(Thu) 編集
確かに
激しく同意!!
nanoshi 2007/11/22(Thu) 編集
無題
「祖」虐史観ですな。(先祖)
防人 2007/11/22(Thu) 編集
無題
しばらくご無沙汰だなあ、と思ったら超大作ですね。
またもノックアウトされました。
tnt 2007/11/22(Thu) 編集
無題
コイツに限った話じゃないけど、「日本軍は極悪非道、でも他の国の軍はそんなことはない」という論理はどこから出てくるのだろう?w
Franz 2007/11/22(Thu) 編集
無題
趣旨は賛同しますが、自分たちは善の「新日本人」、過去の悪い「旧日本人」とは別人、と考えているのでは。
新と旧は、過去においてはマルキシズム、現在は環境保護、ジェンダーフリー、LOVE&PEACEで分けられるんでしょうな。今、世界ではこれが最先端の思想なんだ、これがわからんヤツは「旧日本人」だと。なぜなら彼ら、昔の文化をちっとも大事にしないもの。
旧日本人 2007/11/22(Thu) 編集
無題
>「自虐史観は実は自虐ではない」

ドイツがWW2の責任を全てナチスになすりつけた、って聞いたときに似たようなこと思った。

構図的にはあれと同じなんだよね。
じーこ 2007/11/22(Thu) 編集
無題
何人か言及されてますが、小林よしのり御大がたしか「厳密にはサヨクの史観は『自虐』じゃなくて『自祖虐史観』だ」と言ってましたな。

>林ナニガシ
米軍が沖縄県民を保護しに来たですかそうですか。
これで「悪の日本軍が沖縄侵略をめざすも正義の米帝が撃退してくださったバンジャーイ、でも所詮ソ連さまや中華帝国さまには及ばないのでやっぱ沖縄からデテケ」というサヨクの「あるべきだった正史」まであと半歩。
鈴木高次(通名) 2007/11/22(Thu) 編集
無題
私も「自虐史観」のネーミングは大きな戦略ミスだったと思います。小林よしのりも一年くらい流布したあとで気がついていたようですけどね…
「総括・人民裁判」「自己批判の強要」に近いものを感じるので「史観リンチ」と呼んでましたが、今更ながら適切なネーミングを考え直すことは大切でしょうね。
少し長いけど、悪くないと思います。短くてイメージしやすい良いアイデアがあればいいのですが。
へたれ 2007/11/22(Thu) 編集
無題
>そこを破られたらもう、手を挙げるほうがいい。そこで戦争を始めてしまったら、とんでもない犠牲が出るんですから。

共産主義による支配と比較するなら戦争した方がまだ犠牲は少ない。歴史が証明している。
のら 2007/11/22(Thu) 編集
無題
このやり方
別に政治思想に限ったもんじゃないように思います
例えば新興宗教の洗脳も手口が似てますよ
誰か身近なものを悪にすることによって
一般人に恐怖を植え付けさも自分たちが善であり
世界を救えるのは自分たちだけ
似てますよね
沖縄に上陸したのがソ連だったらどうだったんでしょうか
ちょと調べれば分かりますよね
半兵衛 2007/11/22(Thu) 編集
空襲
米軍が保護、、、
東京大空襲、広島長崎、、、、戦略爆撃は「市民」を殺していますよ、私の母も同級生が艦載機に「粉々」にされた(文字どうり)という経験を持っていますがね、、小学生や女学生を好んで撃つパイロットの話も聞いたことがあります。
ざんぶろんぞ 2007/11/22(Thu) 編集
無題
目からウロコが・・・。
自虐史観って、自分は批判されないところからモノを言う事だったのですね。死人に口なしというか、日本軍たって我らのじいちゃん、ひいじいちゃん達なのに、戦後ますます辱められているようでいやな気分です。
彼らの「日本人として反省してます」って優越感、口先だけのお調子モンとしか思えませんね。
ぐりん 2007/11/22(Thu) 編集
自虐「祖」史観
 確かこれは、「自虐でやんす」で小林よしのりが名付けたはず。
 所詮は「自分は無関係」と思っているからこそ「捏造による冤罪」で自国を貶めるのがサヨクなんだが、自分たち自身にブーメランとして返ってくる可能性を考えないのが芥子畑な訳でw。
KY 2007/11/22(Thu) 編集
無題
>「自虐史観は実は自虐ではない」という考え方を広めて行きたいと思います。

私も実は前々から、自虐史観は実は自虐ではなく、「進歩」を自任する人々の単なる選民思想であり、日本軍の「悪事」の追求と謝罪の要求は単に現体制の転覆を志す為になされているものであり、ゆえに、仮に将来的に中国が今のアメリカの役割を果たし、在日中国軍なる存在が沖縄なり福生などに駐留したとしても、それを咎め批判するどころが、反対運動を抑圧する側にまわるだろうと考えておりました。
そういうわけで、管理人者様のお考えの事は、相当多くの人たちも多かれ少なかれ同様に考えているかと思います。

ともあれ、林博史氏への管理人者様の批判は、全くごもっともだと思います。

しかし、管理人者様の批判を直接マガジン9条に掲載させるのも芸がありませんので、当方としましては変化球を使い林博史氏の主張の問題点を指摘しマガジン9条に直接投稿をしたいと思います。

ご期待ください!
カバ園長 2007/11/22(Thu) 編集
無題
>自虐史観は実は自虐ではない
かつて小林よしのり氏は、いわゆる自虐史観を、「自祖虐(自国虐)自純化史観」と呼んでいました。“自虐史観を唱える人は、自国や自分の祖先を貶めることによって、自分は純粋で正しい人間だと思いたがる”という意味。
確か小林よしのり・竹内義和共著『教科書が教えかねない自虐』(ぶんか社)及び同書の文庫版『自虐でやんす。』(幻冬舎文庫)あたりに載ってた気ガス。
伊藤開司 2007/11/23(Fri) 編集
無題
「差別的転嫁史観(さべつてきてんかしかん)」、もしくは「差別的転嫁解釈(さべつてきてんかかいしゃく)」で良いんじゃないでしょうか?
ななな 2007/11/23(Fri) 編集
無題
お前らより道徳心が強いんだ史観・・・なんか朝鮮臭がする。
九十後半 2007/11/23(Fri) 編集
無題
連投すみません。ただ、ふと思うのですが、「差別的」「なすりつけ」と付けた所で、サヨの人達はピンと来ないのでは?彼らには差別したり、なすりつけてる自覚など、全く持ってないでしょうから。むしろ彼等は、「ウヨの方こそ、中韓米国に、日本の罪をなすりつけようとしてんじゃねーか!そっちのほうこそ差別的だ。」と言い出しそうです。

で、ちょっと改良してみました。やはり長すぎるんですが、「偽善的差別型転嫁史観」というのはいかがですか?サヨの方々も、まさか右翼(←サヨから見て)の主張が、「善意による主張」だとは、とても思わないでしょう。
ななな 2007/11/23(Fri) 編集
無題
たしかに、いわゆる「サヨク」と言われる連中の価値観は
25 o'clockさんの言うように「自虐史観」ではなく「なすりつけ史観」なんだよね。

ここでみなさんに問いたいのだけど、いわゆる「サヨク」が本当の意味で
リベラリスト、社会民主主義者、平和主義者、人権派だと思ったことがありますか?

'70~'80年代型の任侠右翼なら
リベラリスト、社会民主主義者、平和主義者、人権派そのものが否定対象だろうし
“博士” “よーめん” “ゴーリキー” “クロフネ”あたりもこの傾向が強い。
彼らはニュアンスの強弱はあれ「左翼」「リベラル」そのものを否定している。

しかし、今は亡きmumur氏は
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50705098.html
------------------------------------------------------------
あと付け加えておくけど、
愛国心教育に肯定的な人間が全員格差社会推進派だと思ったら大間違いだよ。
mumurはむしろ社会主義者に近い。社会主義といっても、
高度経済成長期の日本みたいな社会のことを想定してるわけだが。
いわゆる一億総中流って呼ばれてたアレね。
みんなそこそこ収入があって、幸せに暮らせる社会。貧富のない社会。
これに否定的な人間なんて滅多にいないと思うけどね。ただ、現状では共産党も
社民党も民主党も他の政策がダメなので、消去法で自民党にいくしかないのよ。

中国・韓国・北朝鮮のみならずアメリカにも毅然とした対応が可能で、
反日活動や歴史捏造を許さず、なおかつ資本主義をベースとしつつも
極力貧富の差が少ない社会を目指す政党が出てきたら、物凄く支持されると思う。
------------------------------------------------------------
と書いてるし、ここの読者の皆さんも基本的には同意していると思う。

つまり彼らはリベラリスト、社会民主主義者、平和主義者、人権派では決してない。
彼らの価値観は基本的に「俺達は巷の連中とは違うんだぜ」という知的差別意識。
物事を知的に表現することには長けているけど、もともとの動機はかなり邪だ。
だから天皇を蔑ろにする代わりに中国・北朝鮮、最近では韓国の権威を笠に着る。

1 中国>韓国・北朝鮮>日本
2 韓国・北朝鮮>中国>日本

と、どちらに重きを置くかというところでは微妙な違いがあるけど
権威主義者という点では(彼らの大嫌いな)戦前の官僚や軍人と何も変わらない。
サヨクに公務員がやたら目立つのもむべなるかな、と。

もし彼らがリベラリスト、社会民主主義者、平和主義者、人権派ならば
いわゆる近隣諸国に贖罪意識があろうと
彼らの嘘や誇張をそのまま鵜呑みにはしなかったはず。
知らなくとも、あとでそれに気づけば猛烈に非難したはず。

しかし彼らは戦前の歴史問題に関する中韓の自己申告を絶対視しつづけている。
少しでも異議をはさめば醜い罵詈雑言をこれでもかと浴びせてくる。

戦前の歴史問題だけじゃない。
平和主義者を自称しながら中韓の軍拡や領土欲や国粋主義を免責する。
それどころか彼の国に行きナショナリズムを煽る馬鹿までいる。

いわゆる「サヨク」というのは、
既に日本で封印された国粋主義・全体主義の高揚感を、
中韓に自己心理をシンクロさせることで得たいだけの連中なのではないか。
そうでないと、彼らが決してダブスタをやめないことの説明がつかない。

ダブスタをやめて天皇だろうが米大統領だろうが中国国家主席だろうが
あまたの権威を手加減なく批判するだけの勇気など、彼らにはない。
反権威を気取りながら何らかの権威を外部に求めないと彼らは安心できない。

そしてその権威とは中国か韓国朝鮮。

つまり彼らは『特定アジアナショナリスト』『特定アジア国粋主義者』なんですよ。
rop 2007/11/23(Fri) 編集
無題
連投スミマセン。

>いずれにせよ「自虐史観は実は自虐ではない」(管理人者様)
>今更ながら適切なネーミングを考え直すことは大切でしょうね(へたれ様)

名づけて、「日虐史観」。

または

名づけて、「従隣史観」。
カバ園長 2007/11/23(Fri) 編集
無題
>カバ園長さん

「従隣史観」より「隷隣史観」のほうがよくありません?

あいつら対米追従とかほざくんだけど、半島大陸と米国の両方とパワーバランスとるのはきつい&中韓よりアメリカのほうがましだから対米追従が支持されるんであって、日米同盟支持者のなかでさえアメリカの批判をほとんどしない奴というのは少数派。厄介な上司という意識だと思う。

でもサヨクは中韓のファッショ的なところを批判する人なんてあまりいない。いても小声。これが大きな声で対米批判並になると右翼扱いされてサヨク業界から追い出される。

というわけで「隷隣史観」をプッシュしてみます。。。
rop 2007/11/23(Fri) 編集
無題
>rop さま

>「従隣史観」より「隷隣史観」のほうがよくありません?

私もそれを考えましたが、「従隣史観」を選んだ意図は以下の三点です。

1.言いやすく、一見するならば刺々しさを感じない。
2.実は、「従隣(ジュウリン)」→「蹂躙(ジュウリン)」と語呂合わせをしている。
3.実は、「従隣」を「従軍」とかぶせている。

他の読者様はいかがに思われるでしょうか?
また、他の良い「適切なネーミング」案も聞きたいです。
カバ園長 2007/11/23(Fri) 編集
無題
こういう記事を見る都度、沖縄人は先の大戦で絶滅していればよかったのにと思う。
沖縄人を守るために多くの日本人が尊い命を散らし、しかも死後その名を汚されている現状は異常だろう。

>「自虐史観は実は自虐ではない」
「日本人の悪いところを客観的に分析できるボクチンまじヤバくね?」でしょうか?
在日引っこ抜き~ぬ 2007/11/23(Fri) 編集
ああ言えばこう言う(笑)
「命令があったかどうかではない。

文科省は詐欺。

戦争が出来ない国にしよう。」

反日極左プロ市民の論理のすり替え、決めつけ、理想or確信犯的思考…

もう頭がクラクラしますわ。

こういう人間はロシアか支那へ送還が望ましいですね。
憂国者 2007/11/23(Fri) 編集
こうめが電話した
こうめが電話したいなぁ。
それできょうこうめは、要請したよ♪
BlogPetのこうめ URL 2007/11/23(Fri) 編集
無題
米軍は保護するつもりだったと言うが、バンザイクリフという前例がわずか1年前にあったわけで、その当時じゃ誰も信用しないだろ。
自分の妄想を優先させるからおかしな話になることに気づいてほしいものです。
chall 2007/11/23(Fri) 編集
無題
>「自虐史観は実は自虐ではない」
これを見て思い出した
朝生での、松井やよりの発言
たしかに、自虐じゃないな
ななし 2007/11/23(Fri) 編集
「他人事史観」はどうすか?
長文エントリ、お疲れ様です。

こないだ産経の連載記事「やばいぞ日本」に次のような記事が掲載されました。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/071114/edc0711140338001-n1.htm

この記事を読みながらこんなことを考えました。
日本人は戦後、自国のよい点、すぐれた点を知ること、そしてそれを誇りに思うことを封じられ、ただただ過去の戦争に対する負い目を背負うことを強要されてきた。日本人として生まれたのは自分の意思によってではないにもかかわらず。

そういう状況に長年置かれ続けてきた結果、いわば自己保存の本能として「過去の日本の悪行」なるものを「自分とはかかわりのない」「他人事」のように扱うことを習い性にしてしまう人たちが多数出現するようになったのではないでしょうか。

彼らが戦前の日本を否定的に扱うためならば怪しげな証言や根拠のない推測でも平気で導入するのは、いったん「過去の日本の行為」を「他人事」と規定した以上、それを悪し様に罵れば罵るほど「自己保存」の目的がより十全に達成されると彼らには感じられるからでしょう。ある意味彼らも戦後教育の「犠牲者」であると言えないこともありません。

日本が過去になした戦争について子供たちに本当に、他人事でなく考えさせたいのならば、予断や憶測を交えない客観的な情報を提供するべきであるのはもちろんですが、日本のよいところ、すぐれているところについても十分に教え、自国である日本に健全な自負心を持たせることも同時に行なわなければなりません。謝罪と反省の強要だけでは、彼らの意図とは逆に、過去の戦争を「他人事」としか考えない日本人を量産するばかりだと思います。
c-cref 2007/11/23(Fri) 編集
じゃあ集団自決の命令は無かったでいいじゃん…
>だから、「今自決しなさい」という軍命があったかどうかというのは、実はそれほど大きな問題ではない。

なんか苦しくなってきたら論法変えて
あの手この手でわけのわからん主張を押し付けてくるのは
どこの組織も一緒なんですかね・・
お久しぶりな人 2007/11/23(Fri) 編集
無題
今も昔もこの手の馬鹿は沢山居ましたが
何より怖いのはこんな馬鹿の戯言に国が「はい確かにそのとおり修正します」と簡単に頭を下げてしまうことですね。
阿部さんが続投していたら・・・麻生さんが総理
になっていたらなどと今更ながら思います。
函館じん 2007/11/23(Fri) 編集
無題
25時さん乙です。
毎度のことながら、なんであのテの連中の文章は無駄に長いんだろ?ww
七誌 2007/11/23(Fri) 編集
同感です
他のエントリーにも書きましたが、この手の輩は自身を善にするために悪を作る必要があるんです。
朝日新聞が戦前と変わっていないのはこの部分ですね。

ちなみに軍隊は住民を守らないですが、
「たしかに南京大虐殺では軍隊がさっさと逃げ出し、住民を避難させなかったせいで被害が大きくなった。いや、むしろ住民を盾にするために置いていったに違いない。やはり軍隊は住民を守らないのだ。」
と、サヨに言って見たいんですがねぇ。
いい中国犬テスターになりませんかね。
兵庫12区 2007/11/23(Fri) 編集
無題
そういえば、
「日本兵は全員鬼畜だったに違いない」って主張して、
「あなたのお父さんも日本兵だったんでしょ」って質問されたら
「それはあり得ない、父はすばらしい人物で日本兵とは違う」ってわめいていた女がいましたか。
それと同じような物ですか。
P 2007/11/24(Sat) 編集
無題
そういえば、
「日本兵は全員鬼畜だったに違いない」って主張して、
「あなたのお父さんも日本兵だったんでしょ」って質問されたら
「それはあり得ない、父はすばらしい人物で日本兵とは違う」ってわめいていた女がいましたか。
それと同じような物ですか。
P 2007/11/24(Sat) 編集
無題
すっかり出遅れた。
俺も松井やよりを思い出したよ。
「私の父だけは(日本軍だけど)違う!」
だっけ?

そーゆー連中を俺は「名誉鮮人」「名誉支那人」と呼んでいます。
「自虐史観」に代わる言葉ではないけどね。
mdyaroh URL 2007/11/24(Sat) 編集
無題
アメリカは優しい国みたいな連中は、アメリカは太平洋戦争の100年前に砲艦外交を仕掛け不平等条約を押し付けた国だったということを都合よく忘れてます。
また中国ソ連に投稿した連中がどうなったか、ということも忘れてます。
くるっと 2007/11/24(Sat) 編集
無題
初めまして。以前から度々拝見させて頂いてました。
私も「自虐史観」という言い方にはかなりの違和感を覚えていたんですよね。
この手の人達って都合のいい時だけ韓国・朝鮮人になったり中国人になったり日本人になったりしますからね…。
だから「地球市民」とか「世界市民」とか名乗ってるんでしょうかね?
牛見 2007/11/24(Sat) 編集
無題
高みからものを見ている、「上から目線」なんですよね、あの人たちは。
人間的に1ランク上にいると思っている。ごく普通の考えをする人たちを見下している。
エコに熱心な人たちにも、同じ匂いを感じるので苦手です。
スズメ 2007/11/25(Sun) 編集
無題
 この人達の思考法は戦前に意見の違う他人を「非国民」と罵った輩と同一だと思いますよ。
ってか、戦後は「非国民」と言う言語が利用出来なくなったから、「平和」と言う言葉を利用して他人の言論・反論を封じ込めようとしているだけの事。
他人を罵る為に使用しているだけなんだから、突っ込み所が満載なのは不思議でもなんでもない。
いや、突っ込む事自体が非国民・・・いや、平和を乱す事なのですから
ぷう太 2007/11/25(Sun) 編集
まずは朝日潰し
松井やよりの私の父は鬼畜でない!と宣ったことは私みたいな人間も違和感を感じましたよ。

当時、馬鹿日新聞の煽りで日本軍が嵌められた為に沢山の男子が出征していて、当然松井やよりの父も大東亜戦争に関係大有りなのにそういう狂った反論をする。

今考えるとその有様は話に矛盾しか生じない韓国人のする話に大変似てると感じて来ました。
憂国者 2007/11/25(Sun) 編集
隠蔽史観でいかが?
熱い議論に思わず書き込みます。
説明に窮するたびに矛先を変え、事実を隠すことを躊躇わない。
自論と噛み合わない反論があれば、強引でも矛盾でもなりふりかまわず遮って反論を封じる。
狂信者の手口をストレートに当て字してみました。
2007/11/26(Mon) 編集
無題
>「あなたのお父さんも日本兵だったんでしょ」って質問されたら
>「それはあり得ない、父はすばらしい人物で日本兵とは違う」ってわめいていた女がいましたか。
>それと同じような物ですか。



そのとおり。

左の人格盲信者は“鬼畜=お前の爺さん”って言われている事すら判らないんだよね。


“現実を見ていない(理解できない)”のがどっちかなんて、考えるまでもない。


ホント、あっちはバカばっかり。
Return 2007/11/26(Mon) 編集
無題
松井やより・・・
調べたら本当に、軍隊にいたけど自分の父だけは潔白という趣旨の事を言ったみたいね・・・
どんだけカスなんだよ
通りすがり 2007/11/26(Mon) 編集
無題
俺はあんま頭良くないのでイメージ優先で考えてみた
「自称救世主史観」というのはどうでしょう?
救世主様 2007/11/27(Tue) 編集
無題
>米軍は保護するつもりで来ているわけだから

それでは米軍兵士によるレイプはない訳だし、2枚舌なんだ。
米軍は保護するつもりで来たんだから、やっぱ米軍基地は永久になのかな。
tatu99 2007/11/27(Tue) 編集
保護ねぇ。
豪雨の中、迫撃砲で追い立てられてりゃ、「ここで家族そろって死のう」という気になっても仕方が無い。そう、別に軍に命令されたわけではないらしい。(軍は軍で、正直住民にかまっているヒマは無かったらしい)平和な現代から過去を憶測する愚かさよ。
k 2007/11/27(Tue) 編集
9条マガジン
 ついつい「9条放火マガジン」と読んでしまう(棒読み)。
KY 2007/11/27(Tue) 編集
無題
「自慰史観」でおk?
socio 2007/11/28(Wed) 編集
無題
「お、俺は違う、俺は正しいんだ!」
常時この状態で来てるから始末に負えない。
そのうち十字軍よろしく自分の意見に合わない人間を殺戮し始めるんじゃないかと思う9条宗教の連中は(´・ω・)
     2007/11/28(Wed) 編集
無題
「お、俺は違う、俺は正しいんだ!」
常時この状態で来てるから始末に負えない。
そのうち十字軍よろしく自分の意見に合わない人間を殺戮し始めるんじゃないかと思う9条宗教の連中は(´・ω・)
     2007/11/28(Wed) 編集
祝!マガジン9条に掲載。
>当方としましては変化球を使い林博史氏の主張の問題点を指摘しマガジン9条に
>直接投稿をしたいと思います。

と前回書きましたが、見事掲載されました。

http://www.magazine9.jp/minna/maru_117.php

マガジン9条の方でも、賞賛意見だけ載せていれば、それは単なる翼賛体制だと言う事がわかっているんでしょうね。

私は、「”自分の身が一番大事”だったら、市民武装権はあって当たり前だろ?」と言う投稿をしましたが、他にも複数の反論意見が出ております。

・なんで日本が侵略されても、南京大虐殺と同様の阿鼻叫喚の地獄が日本各地で出現しないって言い切れるんだ?
・私達、国民に対する、「安全を守る義務」を国家に放棄させることにはならないでしょうか?
・国境警備隊が破られるに至らないためにある程度の武装が必要。
・日本を「悪」と断じ、戦争責任を追及し続ければ、「悪」を「改心」させた旧連合国の「正義」を確認させ、旧連合国の国益に加担する副作用がある。その副作用の最大利用者は、言うまでもなく米国である。

…というものです。
林氏に対する太鼓もちの賛同意見を含め、なかなか面白いですので、是非ごらんになる事もお勧めします。

それと林氏の「この人に聞きたい」PART2が掲載されました。

http://www.magazine9.jp/interv/hayashi/hayashi2.php

是非、管理人者様がぶった斬っていただきたいと思いますが、要約すると。

『現在に至るまでの戦時性暴力は総て日本軍の「悪の模範」の所為である。』

…と言えるでしょう。

手前味噌かもしれませんが、これを「日虐主義」と名指す事が最も当てはまるかもしれません。

なお、林氏の主張は毒電波度が強すぎ、頭痛だけでは済まないかもしれない事を覚悟してください。

カバ園長 2007/11/29(Thu) 編集
周囲を非難する
目的は自分が相対的に高い位置に登る為
寿司刺身蕎麦 2007/11/29(Thu) 編集
無題
常々、こいつらは何人なんだ?と思ってきましたが、「自虐史観は実は自虐ではない」と考えたらすっきりしました。ありがとうございます。

「無知な日本人におしえてやる」という立場ですから、彼らが中共、両朝鮮と仲のいいのはとうぜんですね。
テツヲ 2007/12/01(Sat) 編集
無題
今回も資料の紹介をします。第二次大戦が何の戦争だったのかを知るための参考になると思います。

アルバート・パイクの“予言”
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hap/_floorB1F_ap.html

「第一次世界大戦は、ツァーリズムのロシアを破壊し、広大な地をイルミナティのエージェントの直接の管理下に置くために仕組まれることになる。そして、ロシアはイルミナティの目的を世界に促進させるための“お化け役”として利用されるだろう。」

「第二次世界大戦は、『ドイツの国家主義者』と『政治的シオニスト』(パレスチナ地方にユダヤ人国家を建設しようとする人々)の間の圧倒的な意見の相違の操作の上に実現されることになる。その結果、ロシアの影響領域の拡張と、パレスチナに『イスラエル国家』の建設がなされるべきである。」

「第三次世界大戦は、シオニストとアラブ人とのあいだに、イルミナティ・エージェントが引き起こす、意見の相違によって起こるべきである。世界的な紛争の拡大が計画されている……」

「キリストの教会と無神論の破壊の後、ルシファーの宇宙的顕示により、真の光が迎えられる……」

■国連総会宛てロックフェラー書簡
http://ninjin.nsf.tc/rockefeller.html

======== AGENDA FOR THE NEW WORLD(新世界のためのアジェンダ) =========
 
1)  中東平和の完璧な、手のほどこしようのない瓦解。

2a) バチカンとエルサレムは、宗教テロリストたちによって破壊されるであろう。

2b) すべての宗教の世界的規模での崩壊。すべての宗教は禁止されるだろう。宗教は、家庭の外では、実践されることは出来ない、説教されることは出来ない。

3)  世界中の平和と安全の宣言に続いて、国際連合は、臨時単一世界政府を樹立するであろう。

4)  新しい単一世界国家の市民が出現する。英国(グレート・ブリテン)、中国、米国、の政府は、突然、組織的に瓦解する。その他の世界は、アナーキー状態へ。善き意志と真実に従う者のみが生き残る。

5)  新しい政府機構は、十四万四千人のエリート官僚と六百万人プラスアルファーの役人が支配するであろう。

6)  新世界が創出されるにつれて、大量掃討作戦が開始されるであろう。経済システムは復活されるであろう。インフラストラクチャーは再建される。疾病と病気は消滅するであろう。年をとることは逆転するであろうし、年をとること自体が止まるであろう。一つの新しい復元された人間の家族が徐々に地球をパラダイスの状態にするであろう。
 
======== END OF AGENDA(アジェンダの終わり) =========
航海者 2007/12/03(Mon) 編集
無題
偽善優越史観

悦に入る史観
記念カキコ 2008/01/18(Fri) 編集
無題
女子高生でさえそのままラブホに行きました。

神待ち URL 2010/09/26(Sun) 編集
無題
前向きに恋愛したくてココに登録してみたんだよねー簡単に遊んでくれる人を見つけちゃおう♪

逆援助 URL 2010/10/18(Mon) 編集
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